Aiuto   ※標的162ネタバレです。未読の方はお気をつけ下さい。



 お母様もビアンキも大好きだった。お父様はあまり会えなくて良く分からなかったけれど、会えれば嬉しかった。そして、一年に三回だけ会う、綺麗な女の人。彼女も大好きだった。ふわふわの髪が綺麗で、なにより彼女が奏でるピアノが綺麗だった。透き通った音が気持ち良くて何曲もねだって、彼女はリクエストに応える代わりに「交換条件よ」と笑ってオレにも弾かせた。同じピアノから響く音なのにオレが弾くのと彼女が弾くのでは全く違っていて、それはいつも魔法のようだった。きらきらと光に満ちた部屋に幼い拍手を響かせながらそう言うと、彼女は嬉しそうに笑って、オレを椅子に座らせた。そして長い指でオレの手を包んで囁く。「大丈夫、この魔法はあなたにも使えるわ」。
「……獄寺君、大丈夫?」
「じゅう、代目」
 ふ、と目を開けると10代目がオレを覗き込んでいた。天井からは蛍光灯が照らし、電気を付けたまま眠ってしまっていたようだった。10代目の顔は光にふちどられて不安そうに歪めた顔に濃い陰影が浮かぶ。オレはまたご心配をお掛けてしているようだった。
「起こしちゃってごめんね。電気が付いてたら、起きてるのかと思って」
「いいえ、あまり夢見も良くなかったので……」
「そう?なら良かった」
 10代目がにこりと笑う。蛍光灯を背にした笑顔はまぶしくて、まるで10代目自身から溢れる光のようで、胸がぎゅっとなる。神を見るように――オレにとって10代目は、神以上の人だけど――ぼうっと見上げてから、オレはようやく自分が寝そべっていることに気が付いた。
「すいません10代目!オレ、すぐ起き……」
「いいって!そんなの。獄寺君疲れてるんだし、オレすぐ出てくし。気にしないでよ」
 慌てて体を起こそうとすると、10代目はぐいっとオレの両肩を押さえてベットに押し付けた。そして笑ったまま、オレの目元を指でなぞる。
「10代目?」
「なんかオレの髪、ちゃんと乾いてなかったみたい。水滴落ちちゃった、ごめんね」
 じゃあ、今度は良い夢が見られると良いね、と言って10代目はすっと身を離され、起きることを禁止されたオレは寝そべったままで「おやすみなさい」を言い、部屋の電気は落とされた。パタンと扉の閉まる音。真っ暗になった部屋の中、オレは吸い込まれるように目を閉じた。夢は見なかった。





 部屋から洩れてきた声はとても悲しそうだった。日本語ではない言葉はオレには分からなくて、それでも放って置けないと思った声だった。リボーンに話を聞いて堪らずに部屋を訪ねてみたけれど、何を言っていいか分からず扉の前で突っ立っていたオレは、それでようやくノックが出来た。けれど反応はなく、呟くような声が微かに聞こえるだけ。オレはそうっと扉を開ける。明るい部屋で獄寺君は、ベットの端に身を丸めるように眠っていた。時々何かを呟いては、小さく手を伸ばす。けれどその手は虚しく空を掻き、何も掴めずに落ちていこうとしたから、オレは思わず駆け寄ってその手を握った。オレより大きな骨ばった手は汗を滲ませ、細かく震えていた。そして、獄寺君は泣いていた。
 なんて言えばいいか分からない衝撃だった。いつも笑ってて賑やかで明るい顔ばかり見せる人が、こんな風に夢の中でひとりで泣いている。繋いだ手はすがるようにしっかりと握られて痛いくらいだ。オレが辛いとき獄寺君は傍に居てくれるのに、オレは獄寺君が辛いときに支えてあげられない。その事が凄くショックで、そして、友達が苦しんでいるのに自分のことでショックを受けている自分が凄く嫌だった。獄寺君の指がまた強く力を込めて、短い爪がオレの手に食い込んだ。キリリと痛みが走る。けれど痛いことは辛くなくて、むしろ嬉しかった。獄寺君の辛い事をオレに分けて欲しいと思った。
「獄寺君」
 そっと呼びかける。獄寺君の整った眉がぴくりと動く。
「獄寺君……ひとりで抱えないでよ。寂しいよ」
 ああ、どうしてオレはこう、『オレが寂しい』ことでしか獄寺君の辛さを考えられないんだろう。そんな場合ではないと思いながらも自己嫌悪が顔を出す。オレはもっと獄寺君のことをちゃんと考えていたいのに。
「……ん」
「獄寺君、大丈夫?」
「……10代目」
 小さく呻いて獄寺君が目を開けた。しばらくオレの顔を眺めてから瞬きを繰り返し、ようやく視覚が脳と繋がったようにオレを呼ぶ。呼ばれるのと一緒に指から力が抜けたのを見計らってオレはそっと手を引いた。きっとオレの手には獄寺君の爪跡が残っていて、獄寺君がそれに気が付いたら恐縮してどうしようも無いから。
 君が辛そうだったから起こしに来たよ、とは言えなかったから、まだ獄寺君がぼんやりしているのを良いことに誤魔化してしまって獄寺君の部屋を出た。静かに扉を閉めて、ふうと大きく息を付く。なんだか堪らなかった。自分の涙に気付かないままオレをみて笑顔になるのが切なくて、でもどこか嬉しい気持ちもして、獄寺君の涙を拭った指と付けられた爪跡がやたらと熱を持って感じた。



(20070924)



 Aiutoはイタリア語で「助けて」。そのままです。標的162でネタバレた獄寺の過去がなんていうかもう、いろいろとグラグラします。扉の3歳獄寺も8歳獄寺もとにかく可愛くてグラグラ。