昼休みの至福

 20050709〜20051023top 夏合宿でお昼寝のリョ海。(20051023)






 青学男子テニス部の夏休みの恒例行事といえば強化合宿。『地獄の』などの洒落た枕詞が付くそれは、例年、夏休みが始まった当初から部員たちの表情をどんよりと曇らせるものだ。吐いて倒れるまで走らせるとか、炎天下で水分を取らせないとか、旧時代的な特訓がある訳ではない。合宿先の広いコートを利用して、ひたすら試合を行うのだ。午前5時半からウォーミングアップ、朝食と休憩を挟んで午前8時から各コートで練習試合が始まる。ただし練習とは言うものの全ての結果は記録され、部内のランキングに反映される。正午までにひとりが2〜3試合をこなし、昼食を兼ねて各々試合の自己分析、そして午後は分析に沿った練習を行う。午前の試合で発見した自分の弱点はその日の練習でどうにかしてしまえ、という方針なのだ。午後6時で一日の練習は終わり、ということになってはいるが、日が暮れてボールが見えなくなるまで練習を続ける部員も少なくない。その辺りは自己裁量に任せる気風が、いかにも青学らしかった。
 少し話が脱線したが、つまり、昼休みはシビアなのだ。明日の試合の行方が、自分の方向性を正確に定めて効果的な練習をできるか否かに掛かっている。騒がしく昼食を取りながらも対戦相手を捕まえて意見を交わしたり、審判を努めた部員に感想を求めたり各自が必死に情報を集める。普段の練習がきっちりと組まれたメニューに従って行われるのとは違い、祭りか魚河岸かといった活気に溢れてるのが夏合宿の特徴だった。
 しかし、はみ出す者は居る。普段ルーティンとして練習をこなす部員たちにとって合宿のメニューは刺激的だが、日常的に自分の目的を掲げている一部の部員にとってはそれほど目新しい内容でもないのだ。そして常に目的を持った練習をしている者は、当然ながら強い。つまり、レギュラーの座を固定している部員たちにとってみれば、合宿といっても普段の練習とそれほど変わるものではなかった。むしろ通学時間やら宿題やらの瑣末な諸々から開放された分だけ時間と気持ちに余裕があるくらいだ。
 なんやかんやと相談を受けてしまうことが多い乾にも、それは同じこと。自分の敗因が分からなくて右往左往している部員たちから上手く逃げ出すことに成功した昼休みには、宿の周りを探索してみようと思えるくらいの気軽さがあった。夏合宿に参加するのは三度目だったが、さすがに過去二回にそんな余裕はなくて、フェンスの外に飛び出してしまったボールを集めるためにしか宿とコートを離れたことはなかった。都心からそう遠くない合宿所だったが、郊外というより山の中、といった雰囲気は都会育ちの乾にはひどく新鮮だ。最高学年は責任もある分だけ自由もあるから良いな、と少し浮かれた気分で舗装のない砂利道を歩く。道の片側には並木があって、その先は川原に続く土手になっていた。日差しの強い日だったが、土手のあたりはちょうど木陰になっていて涼しげだ。コートからも遠くはない。午後の休憩はあそこで取ろうか。そんなことを思いついて、乾は土手に寄っていく。近づくと川に吹く風も感じられて一層心地いい。ここにしようと、乾はほとんど決めていた。秘密基地を見つけた子供のような、軽い興奮を覚えながら乾はザクザクと歩を進める。
 しかし乾が彼の秘密基地にたどり着いた時、そこには既に先客が居た。風の通る木陰で、土手の雑草を押しつぶしながら、本当に気持ちよさそうに眠っているのは、果たして乾の後輩たちだ。ふたりの繋いだ手を見れば、彼らが『地獄の夏合宿』などとは全く縁遠いのだろうと分かる。青学3強などと呼ばれても、代替わりするまでレギュラーを取れなかった乾にしてみれば、もう苦笑するしかない。
 他人の気配に気付く様子もなく眠りこける二人を乾は少しのあいだ見下ろして、もう一度仕方ないなと笑ってみせると、足音を忍ばせてきた道を引き返していった。その後ろ姿を、一年生ルーキーがうっすらと目を開いて確かめる。もっと強くなろう、という呟きが聞こえた気がした。



 定着してきました小話です。
 リョ海絵ですが乾視点。リョ海には乾が絡ませやすいです。
 不敵に無敵な後輩たちを頼もしくも悔しく思ってしまう先輩の意地でした。