2006年、戌年

20060102〜20060115年賀絵として公開(20060115)



















 ここぞとばかりに愛犬の写真を披露してくる年賀状たちを、フンと鼻で笑ってベットに入ったのは元旦の夜の11時。大晦日から今まで夜通し労働に明け暮れたリョーマにとって、実に34時間ぶりの睡眠だった。横になって目を閉じた途端、頭の中身がフワッと宙に浮き上がる。布団に入れてくれと、ホァラと鳴いた声が聞こえたけれど、もう体を動かすことは出来なかった。愛猫の尻尾がふわふわと頬をくすぐるのを感じながら、リョーマの意識は闇に包まれる。



 けれどもう一度、ホァア、というカルピンの声を耳元で聞いて、リョーマはふっと目を覚ました。腹が減ったのかトイレに行きたいのか。まったく夜中に迷惑だと眉をしかめて体を起こしかける。そして感じる違和感。みのむしのように包まった羽布団の感触はなく、真っ暗なはずの室内は不思議に明るかった。そもそも室内なのか屋外なのかも分からない。自分の部屋でないことだけは確かな、広い、白い空間にリョーマは居た。寝起きで頭がはっきりしないのも手伝ってか、寝転がっているはずの床ごと空に浮かんでいるような、妙に落ち着かない場所だった。
 反射的に身を硬くしていたリョーマは、一瞬不安になりかけた後、パッタリと力を抜いて起こしかけた背をふたたび床につける。目を閉じる。これは夢だった。どんな理由か知らないが、新年早々、訳の分からない夢を見ているのだとリョーマは確信した。こんな不条理は夢以外でありえなかった。そして自分の夢なのだから、自分のしたいようにしても構わないはずで、とにかくリョーマは眠りたかった。夢の中だろうと何だろうと、今自分が欲しいのは何よりも睡眠。だから寝る。固い決意の元、リョーマは自分の居る場所の不思議を一切無視することにした。
 未知を開拓する子供らしい冒険心がくすぐられなかった訳ではない。クールが信条の一年生レギュラーを自任していても、そこは14歳の少年だ。立ち上がって周囲を見回してこの奇妙な場所の果てを確かめてみたい欲求が、頭の奥で顔を覗かせている。けれど、それでも、リョーマは寝心地の悪い硬い床に眉をしかめながら、寝転がった体をころんと丸くした。
 リョーマは寝なくてはいけなかった。万全の状態で明日を迎える必要があった。明日起きて、顔を洗って、着替えて、家を出れば、海堂に会えるのだ。去年の部活の最後の日、リョーマは海堂に初詣ついでの初テニスを提案して、「……ああ」とそっけない返事を貰っていた。出来るだけ格好よく、さりげなく切り出したはずだったが、了解の言葉をきいた瞬間ゆるんだ頬はばっちり海堂に見られていた。バツの悪い瞬間も一緒に思い出してしまってリョーマは、あの人は妙なところでタイミングがいいから困る、と海堂に責任を押し付けて記憶を片付ける――本当は、ふと思い出してはじたばたしてしまうのだけれど。
 ともあれ、寝るのだ。リョーマは硬く閉じたまぶたから力を抜いて、握りこんだ手のひらを解いて、眠りやすい体勢を作る。かくんと床に落ちる指先をそのままに全身を寛げた。再びふわりと浮く意識。そしてそれを邪魔したのも、再び彼の愛猫だった。いや、リョーマはカルピンだと思った。伸びた指先に時折かすめるふわふわした毛並み。付かず離れずの距離で揺れるそれは、拗ねたカルピンの仕草と同じだった。夢の中までついてくるのかとリョーマは少しおかしく思いながら、目は閉じて半分以上眠ったまま不機嫌な猫を抱き寄せる。柔らかい毛皮をまとった暖かなかたまりを胸元にひきこむつもりで手を伸ばし、けれど、触れたのは別のものだった。
 ふさりと長い毛足に埋もれるはずの指が、すべるように何かに触れる。なだらかな曲線を描くように落ちたリョーマの手は、ごつりとそれが隆起した所で止まる。つるりとした肌触りのわりに凸凹と不恰好なそれは、カルピンよりも暖かい。何か熱のこもった塊のようだった。リョーマは半分眠ったまま指先でそれを探る。どちらかと言えば体温が低めのリョーマには、熱くすら感じられたが、むしろ心地よい感触だった。その熱を吸い取るようにリョーマは凹凸に指を這わす。緩慢な動きは眠られない子供がぬいぐるみに頬をすりよせるのに似た仕草で、愛らしくすら見えた。
 けれど突然冷たい指先でまさぐられてはやってられない。地を這うような声が、真っ白な空間に響いた。
「……ふざけんな、コラ」
 そこらのチンピラなら確実に蹴散らせるどすの利いた声は、寝穢いリョーマを覚醒させるのに十分だった。届いた言葉にリョーマは目を開ける。ただし低く太い声に怯えたのではない。それが、想う人のものだったからだ。
 間近で揺れた息に、リョーマは勢いよく飛び起きた。



「あけましておめでとう」
「……おめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
「ああ」
 そして正月二日。果たして父親が預かる寺に訪れた海堂を、リョーマは石段の前で迎えた。トレーニング代わりに階段上りをすることにしていたから、海堂はいつも通りの黒いジャージだ。新年明けたとはいえ何が変わる訳でもない。けれど、リョーマは、ストイックな装いの描くラインがちらちらと目に付いて落ち着かなかった――昨夜の夢のせいだった。
 リョーマが焦りまくって飛び起きた時、目の前の時計が指していたのは11時15分。寝入ってから20分も経っていなかったが、短い分だけ記憶は鮮明だ。特に最後の瞬間に見た光景。思い出すだに顔が熱くなって、なんて惜しいところで起きてしまったんだろうとリョーマは歯噛みする想いだった。犬の耳と尾を付けた海堂が、無防備なまま自分に押し倒されたのだから。無意識のまま触れてしまった熱い肌の感触や頤からその下にかけてのシャープなラインが、手のひらにも目にも生々しく焼き付いている。そして、やたらと扇情的に見えた耳と尾も。シェパードか何か、大型の猟犬のものに似た海堂の耳も尾も、海堂の野性的な雰囲気によく似合って酷くいやらしかった。あの薄い耳に触れたら海堂がどんな顔をするのか、一度考えはじめてしまえばリョーマは夜中悶々とする破目に陥った。
 お陰で今日は本物とふたりきりだというのに寝不足な上、見る度に夢の画像がちらついてしまって真っ直ぐ海堂を見ることも出来ない。海堂の隣で石段を駆け上がりながら、とんだ初夢だったとリョーマは溜め息をついた。




お年賀小話でした。
お年賀部屋設置時の紹介にうっかり「ほんのり獣姦風味」なんて書いたため、
検索から別な嗜好のかたもいらっしゃったようでした……すいません!


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